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【アラベスク】  第17章 来し方の楔



第2節 想われ心 [17]




 理由に関係無く、そのような場所で目撃されたのであればそれだけで十分問題なのだが、美鶴の場合、あのような下賎な人間なのだから仕方がありませんわ、などといった傲慢な慈悲を掛けられているコトもあるし、貶めるのであればもっと決定的な事実、例えば繁華街で違法に働いている現場などを押さえて確実に退学へ追い込もうとしている輩などが、証拠を掴むまでは泳がせておこうなどといった陳腐な画策を巡らしている事も、かえって大袈裟にならない要因の一つでもあるようだ。
「当人の母親から聞かされたんだ。無視はできない」
「なんでおばさんは、瑠駆真なんかに聞いたんだ?」
「携帯のキス写真をネタにされた。おばさんとしては、君と僕、どちらでも構わなかったんじゃないかなと思うよ」
 俺もそんな写真で強請(ゆす)られてみたいものだよと、不謹慎な感情が沸く。
「じゃあ俺とお前の二人を呼べばよかっただろう?」
「君の恋心を、おばさんは知っているのか?」
「お前の恋心は知っているって言うのかよ?」
「だから、キスの写真が決定的な証拠になったんだよ」
「はぁ?」
 単細胞が混乱する。
 イライラとした舌打を、瑠駆真は聞き流す。今はそんな事はどうでもいい。それよりも、美鶴の方が大事。
 単なる噂でも、確かめておきたい。だが先週までは、美鶴は模試の勉強に没頭していてこちらの話など聞こうともしなかった。聡と里奈の件もあって、なかなかうまく話しかけられないでもいた。
「でも、結局は本人に聞くんだろう?」
 詰め寄ろうとする相手を無理矢理に押し留め、しばらく考えてから瑠駆真は口を開いた。
「今は、君と話をする気分じゃないよ」
 そのまま視線を外す。
「とにかく今後は、今日みたいに卑屈に当り散らすのはやめろ。涼木さんを罵倒するのもな。彼女は彼女なりに蔦を想っているようだ。その辺りを理解する優しさくらいは、持ち合わせておけよ」
 言って後頭部を向ける。
「じゃあね」
 背を向けたまま片手をあげる。そんな瑠駆真の姿を、聡は呆然と見送った。
 優しさ。
 優しさが足りないと、ツバサに言われた。
 また、優しさかよ。
 聡は苛立ちながら、右の爪先で地面を蹴った。





 そういう事、だったのか?
 家に着き、エアコンの効き始めた部屋でベッドにうつ伏せる。電気も付けず、部屋は真っ暗。勉強なんてする気にはなれない。
 この間の模試は、なんとか学年トップを守った。だが、二位とは僅差だった。
 もうすぐ学年末試験。繁華街へは、行けないでいる。
 霞流さん、どうしてるだろう?
 携帯に連絡が入るはずもない。
 目を閉じると、瞼の裏にその姿が浮かぶ。だがあの時は、同時に別の姿も浮かび上がった。霞流の姿に重なるように、朧げだったが、美鶴にはわかった。
 好きな人の過去に誰か別の人間が居れば、気になるのは当然だろう。
 そう聡に叫ぼうとして、美鶴は最後までは言えなかった。
 智論(ちさと)さん。
 彼女は、霞流慎二にとって、過去の人間ではない。過去の人間と言うのなら、それは桐井(きりい)愛華(まなか)という女性になるはずだ。桐井は高校時代の霞流の彼女だった。
 だが美鶴は、彼女よりも智論が気になる。智論が一番、霞流に近いような気がするし、会った事の無い存在よりも、目の前で実際に霞流の名を口にする存在の方が、より現実味を感じる。
 気にしているのだろうか? だから私はツバサの気持ちもわかるのだろうか?
 顔を枕に(うず)める。
 智論さんは、霞流さんの許婚だ。でもそれは形式的なものだと言っていた。
 慎二は優しい人間だ。そう口にしながら琵琶湖を望む彼女の横顔は、綺麗だった。
 智論さん、霞流さんとは、頻繁に会ってるのかな?
 胸が苦しくなる。ツバサも、やはり同じように苦しい思いをしているのだろうか?
 ツバサを開放してやりたい。
 美鶴はなぜだか、泣きたくなった。





 翌日、美鶴のところへはツバサもコウも来なかった。
 ひょっとしたらあの後コウは、ツバサに問い詰めたりしたのかもしれない。そうだとしたら、ツバサは怒るかもしれない。当然だ。ツバサは、醜い自分の姿をコウに知られるのを恐れている。
 だけれども。
 シャーペンを机の上に置いた。駅舎の中。まだ今日は、美鶴一人。
 昨日、ここは大騒ぎになった。
 美鶴が自動販売機でホットレモネードを買い、その場で飲んで戻ってきたら、聡とツバサが言い争っていた。ツバサが問い詰め、聡が適当に()なしているようにも見えた。
 ツバサは葛藤している。里奈に彼氏でもできればいいのにという思いと、だからといって聡とくっつけるような事などしてはいけないという理性。
 ツバサにだって好きな人がいる。だからこそ、聡の気持ちも理解できるからこそ、里奈の気持ちを全面的に後押しする事ができない。しかし、里奈に協力できないのは、本当は、蔦の元カノに対する嫉妬心なのではないかと、己を疑っている。
 里奈の事は大切にしたい。だったら、里奈の恋心は応援すべきなのではないか?
「難しいなぁ」
 美鶴はベッタリと机に突っ伏した。
 他人事なのに、なんで私がこんなに考えちゃうんだろう?
 ツバサ、これからどうするんだろう? お兄さんに会えば、本当にツバサは前へ進めるのだろうか?
 怠惰で儚げな姿を思い浮かべる。涼木魁流は、イメージしていたのとはだいぶ違う。あの人に会って、本当にツバサは自分を変える事ができるのだろうか?
 あの人って、ツバサにとって、何なんだろう?
 その時、入り口で気配がした。
 ぼんやりと顔を向けると、ツバサが真っ直ぐに立っていた。
 真っ直ぐに、という表現がピッタリだと思った。
「何ダレてるの?」
 美鶴の態度にふふっと笑う。その表情に、うんざりと起き上がる。
「機嫌は直ったか?」
「え?」
「今日は聡と、何か話したか?」
 ツバサは小さく苦笑い。
「朝から無視」
「あっそ」
 どうせ二人して意地の張り合いだろう。ツバサはともかく、聡が剥れている姿など、容易に想像ができる。
「アレは単純だ。ほっとけばそのうち機嫌も直る」
「幼馴染の勘ですか?」
「アホ」
 素っ気無い答えにツバサはまた笑みを零し、そうして少し背筋を伸ばした。
「今からさ、行ってくるよ」
「へ?」
「お兄ちゃんのところ」
 美鶴は思わず立ち上がる。
「会ってもらえないかもしれないけど、まぁ、美鶴の言うとおり、それが一番なのかもしれないし」
「どうしてまた突然?」
「金本くんとガッツリ言い争って、なんか吹っ切れた」
「はぁ?」
「なんかさ、もうどうにでもなれってカンジ」
 本当に吹っ切れたような表情の相手に、美鶴は呆れたように口を開ける。







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